らくうのBlog

LGBTQ+関連のあれこれ

同性婚がいいなら近親婚も、××婚も、なんでも

「好きになった人と結婚する自由を認めて欲しい、だから同性婚を認めて欲しい!」そんな自由が通るなら、近親婚も、××婚も、なんでも通るだろ、という意見を目にします。

ですが、現在行われている同性婚訴訟の法律的な意味での主張は違います。

まず札幌地裁の判決文で認定事実とされたこと…

【同性愛は,現在においては精神疾患とはみなされておらず,さらには,性的指向の決定要因は解明されていないものの,人がその意思で決定するものではなく,また,人の意思又は治療等によって変更することも困難なものであることは,確立された知見に至ったということができる。そうすると,性的指向は,自らの意思に関わらず決定される個人の性質であるといえ,性別,人種などと同様のものということができる。】
https://www.cc.kyoto-su.ac.jp/~suga/hanrei/177-1.html
※主な根拠にはWHO国際疾病分類(ICD)があります


次に憲法第十四条では…
【すべて国民は、法の下に平等であって、人種、信条、性別、社会的身分又は門地により、政治的、経済的又は社会的関係において、差別されない。】

以上から『性別,人種などと同様である性的指向』を理由に婚姻の要件を享受できるかどうか区別をすることに合理的な理由があるかどうかが争点になっており、単に好きになった人と結婚する自由について争っている訳ではありません。


札幌地裁の判決文では『同性愛者が異性を愛することは困難であり、それは本人の意思で決められるものではない』ということが確立した知見として認められています。近親婚、××婚で、そういった確立した知見はありますか?このように同性婚と近親婚××婚を同じ論理展開で認めることは不可能であり、近親婚××婚を認めるには同性婚とは別の論理が必要となるのは明らかであり、同性婚がいいからといって近親婚××婚も良いとはなりません。


よく「なんでもかんでも自由が認められると思うなよ!」みたいな意見を目にしますが、同性愛者の中には「同性しか愛せない不自由」に苦しんでいる人も少なくないんですよね、特に自覚したての思春期の頃は。なかにはそのまま受け入れる方もいますが、なんとか異性愛者になれないか努力、苦難した経験があると話される方も少なくありません。ちょっと逆の立場で考えてみませんか?頑張って同性愛者になること、自由に同性愛と異性愛を行き来すること、できるでしょうか?同性愛って趣味を選んだり、進路を決めたりとは違って本人にはどうすることもできないんですよね。